戯 幽(たわむれ かそけ)のオカルト覚書です。
前回キーワードとした、「恍惚」。気になって調べているのですが、これがなかなか難しい。
何が気になっているのかと言いますと、「どうやって恍惚状態に入ったのか」という「方法」の部分です。
前回、教会側が記録していた恍惚状態の地理的分布を記しました。再掲しますと
・主として女性神につき従う恍惚状態での旅 はスコットランド、フランス、ラインラント、イタリア中部ー北部
・主として豊穣のための、恍惚状態での戦い はフリウーリ、コルシカ、イストリア、スロヴェニア、ダルマチア、ボスニア、ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、ハンガリー、オセチア、ラップランド
となります。
このように広く分布しているのは認識していたようなのですが、どうも「How」については触れていません。
著者のカルロ・ギンズブルグも触れておらず、「恍惚状態にある人たちがいる」という前提で話が進んでいます。
しかし、私はその「How」が気になるのです。
なぜならベナンダンティを始め、彼ら・彼女らは平時、「普通の人」だからです。
恍惚、トランス、憑依、神がかり。こうした言葉はシャーマニズムの文脈で取り扱います。その場合、シャーマンは普段から特別視や神聖視、または異端視されます。
日本ではイタコやユタがシャーマンと言われますが、どちらも普段から「あの人は特別」という扱いかと。また憶測ですが、もしかしたら本人たちも、セルフブランディングの意味も含めて特別視されるよう仕向けているかもしれません。
このように、普段から特別な人が必要に応じてトランス状態になるのがシャーマン、だと私は思っています。
現代の感覚ですと、一見普通に見える人が「実はあの人は霊能力者で…」と紹介されることが別段特殊ではないように見えるかもしれません。
しかし、特殊な能力を以て特殊な生業をする人を共同体に迎え入れるには、やはりお互いに特殊性を共有しなければならないと思います。その相互理解がなければ、村八分になって生活が立ち行かなくなるかと。
しかし先ほど挙げました、豊穣のための戦いや女性神につき従う旅の主人公たちは普通の人のようなのです。
例えばベナンダンティが記録された経緯は、村人にまじないを教えたところ、その村人が神父に伝えたからでした。以前からそうした噂のある男、ではありません。
この例の特別な点は、
・共同体の一人として普通の生活をしている
・共同体から、シャーマンとしての能力の要請がない
ことかと思います。
要するに普通の人、なのです。
ただ、ベナンダンティに限って言えば、「羊膜に包まれて産まれたもの(シャツを着て産まれた)」だからそうした能力を持っている、と本人は語っています。もしかしたらそのような人間だけに秘術を授ける組織でもあったのかもしれません。もっともこの羊膜に包まれて産まれるのは現在でもレアケースらしく、8万人に1人だとか。パリの人口が最大でも15万人程だった中世、イタリアの田舎でそのような秘密組織が存続できたとは考え難いです。
ともあれ、組織化することなく個々人が勝手に恍惚状態になり、勝手に経験談を語り、それを教会側が型にはめていった、と読み取れます。カルロ・ギンズブルグも著書の中で、
フリウーリ地方の異端審問官たちは、それを理解不可能な、サバトの地方的変異とみなした。
『闇の歴史 サバトの解読』P260
カルロ・ギンズブルグ
としています。
このような解釈では過程、方法が不在なのです。
他の地域の「シャーマン」は呪文、修行、薬物などでトランス状態に導きます。そして How の部分は場合によれば門外不出も含め、基本的にある、と私は認識しています。簡単に言えば修行です。
欧州文化圏を語る際、どうやらあまり「シャーマン」という用語を使わないようです。極狭義には北アジアの用語であり、更に広くしても東アジアや新大陸、オセアニア。
ベナンダンティが注目されたのは、ヨーロッパシャーマンの記録と目されたから、でもありました。
ともあれ。シャーマンと精神疾患を並べることもあるかと思うのですが、やはり気になるのは皆、「恍惚」で繋がれていること、です。
狼憑き、人狼、吸血鬼はかなり関連しているのでまた別に語りたいところ。しかし、ベナンダンティと狼憑きが並列しているのは理由があります。
紹介されているイヴォニアの狼憑きは特殊な例で、作物の実りを賭けて魔女と戦うために狼になる、と自称していました。人を襲うために狼になる他の人狼伝説とは大きく異なります。
現代、「トランス状態への入り方」を検索すると、情報商材がヒットします。また、ヒッピームーブメントの際はまだ違法ではなかったLSDの仕様で恍惚体験を得ていました。その是非はともかく、やはり一般的にトランス状態になるには方法論が必要なようです。
当時、知識を共有した組織は無いように思われます。もしそのような組織があれば、魔女狩りは村々で各個撃破ではなく、大本を潰そうとする戦略を取っていたでしょう。
流れとして、勝手に恍惚状態に入ってしまう(トランス、神がかり)人がいて、周りから特別視される、なら理解できます。日本でしたら大本(教)は、出口なおに艮の金神が憑依しました。この時、なおは意図せずにトランス状態になり、お筆先と呼ばれる自動書記を残します。
しかし、例えばベナンダンティなら、本人が語らなければ存在自体記録されなかった可能性もあります。それでいて、異端視を恐れて黙秘していたわけでもなさそうです。
How の体系がなければ逆に、意図しない入神状態を避けることは難しいのではないでしょうか。ベナンダンティであれ狼憑きであれ女神への随行者であれ、恍惚状態をコントロールしていたように見えます。
少し話がずれますが、魔女狩り以前の魔術を求めるウィッチクラフトにおいては、あまり恍惚を重要視していないようです。
かくして、私の中の「どうやって恍惚体験を得たのか」という疑問は、まだしばらく疑問のまま残りそうです。