サバト考 その六 タルトス

戯 幽(たわむれ かそけ)のオカルト覚書です。

 

アウトプットのための読書に挑戦中です。まだまだ手探り、カメの歩みです。

メモを取りながらですと削ってもよい情報がわからず、すべて書き写す作業になっています。

 

そんななかですが、かなりマニアックな内容がありました。

なにせGoogle検索でも引っかからないのでソースはこの本一冊という心許ない状況なのですが、だからこそ紹介したいと思いました次第であります。

 

種本はいつものこちら。

 

 

今回のネタはP262を丸写し、に近いです...。しかし面白い話なのであえて進めます。

 

今回の主人公は「タルトス」。ベナンダンティ、クルスニキなどの、ハンガリー版です。

 

しかし、特徴はほとんどベナンダンティ、クルスニキと同様に見えるのですが、筆者は『ハンガリーのはタルトスは明らかにインド=ヨーロッパ 語圏の外に我々を導くのである 。』と述べています。実は私、最初はこの一文の意味がわかりませんでした。それも含め、タルトスの説明と考察をいたしましょう。

 

さて、タルトス。この呼び名はおそらくトルコ起源であろう、と述べられています。

時代は16世紀後半、舞台はハンガリー第ニの都市、デブレゼン(本書での書き方。スペルはハンガリー語でDebrecenであり、一般にはデブレチェンと表記される)。

 

タルトス達は悪魔崇拝の科で裁判にかけられました。ここで特筆すべきは、彼ら・彼女らは告発を断固として跳ね除けたことです。

例えばアンドラス・バルタという女性は、神自身によってタルトスの長に指定されたと言明しました。その時彼女は、『なぜなら 神はまだ母の体内にいる時タルトスを作り、後に自分の翼に乗せて 、鳥のように空を飛ばせ、 「空の支配のために」 魔女や 魔術師と戦わせるからである』と述べています。

 

タルトスについての資料は豊富にあるが、歴史とともに変遷している、と筆者は述べています。具体的には女性のタルトスが減少していたとのことです。

資料が豊富、でもハンガリーともなると日本語での検索で引っかからないこともあるのですね…。

 

さて、タルトスは生誕時に特徴があります。具体的には、

  • 歯が生えたまま生まれてくる
  • 手に6本の指がある
  • 羊膜袋をかぶって生まれてくる

です。3番目の羊膜についてはまたか、という気がしなくもないですが、実はここでは『ずっと稀なのだが』との1文が書かれています。筆者が加えたのか、当時の記録にあったのかは定かではありませんが、ベナンダンティやクルスニキの必要条件であった羊膜が『非常に稀』とあるのは興味深いです。羊膜に包まれての出産は早熟時に多いのですが、医療が発達した現在でもこうした子供の出産は八万人に一人。如何に当時の大国ハンガリーでも、やはり稀であったと思います。逆にベナンダンティでさもちょっと珍しいくらいの扱いなのが不思議なくらいです。余談てすがハンガリーの最盛期は15世紀。16世紀後半にはオスマン帝国に敗れているのですが、そのような時期だからこそ異端審問は苛烈になったのでしょうか。

さて、誕生時とは別に、その後の生活においても特殊性があります。

  • 小さい時から口数が少なく憂鬱
  • 強壮で乳を大量に飲む(大人になるとチーズや 卵も大量に食べる)

子供らしくなく常に沈んでおり、そのくせ体は強い。傍から見れば少々不思議な、悪く言えば不気味な子供に見えるかもしれません。

 

さて、ベナンダンティは先達者に呼びかけられ、魔女との戦いに参加するようになります。

 

これに対し、タルトスは「入会式」が明確にあり、イニシエーションと捉えられる行動を取ります。それは一般的に「眠り」と呼ばれるそうです。

『この時期 将来のタルトスは「身を隠している」と言われている
時には体がバラバラになったり 例えば 非常に高い木に登ると言った途方もない試練を克服する夢を見る。タルトスは種馬 雄牛 あるいは炎になって 定期的に戦う(年に3回あるいは 7年ごとに1回など)普通はタルトス同士で戦う。 魔女や 魔術師と戦うのは稀だが、それは時には外国人で、トルコ人 や ドイツ人であったりする。彼らも動物や炎に変身するが、 色が違っている。タルトスは動物に変身する前に、一種の熱に体を襲われ、霊魂の世界と接触して、脈絡のない言葉をしゃべる。戦いはしばしば 雲の中で行われ、 嵐が伴う。戦いに勝ったものは、 自らの集団に、7年間、あるいは翌年の豊作をもたらす。このために、旱魃が来ると、農民たちは タルトスのもとに金や贈り物を持って行き、雨を降らせるよう頼む。タルトスの方は、嵐を起こすと脅したり、不思議な力を誇示して、農民から牛乳や チーズをせしめる。その力とは、隠された宝物を探し、妖術にかかったものを治療し、太鼓(さもなければ、ふるい)を叩いて 村にいる 魔女を見分ける力である。だが彼らの仕事は自ら選んだものではない。呼び出されると、抵抗はできない。しばらくすると( ある証言によると15歳だが、しばしば さらに高年齢に達する)タルトスはその活動を止めることになる。

『闇の歴史:サバトの解読』

カルロ・ギンズブルグ

 

…、はい、こちらが「まるっと引用」の部分でございます…。タルトスの入信儀式、戦い、共同体での役割など、削る部分が無かったので、ご容赦ください。

 

「豊穣のための戦い」の一点に着目すれば、ベナンダンティやクルスニキ、イヴォニアの狼憑きと変わりません。

 

ここで、著者が『ハンガリーのはタルトスは明らかにインド=ヨーロッパ 語圏の外に我々を導くのである 。』と述べた理由が見えてきます。ベナンダンティなどと違い、タルトスには旱魃の際に依頼され雨ごいをする「役割」があります。

 

前回、前々回の恍惚でもふれた、共同体との関係を持っているのです。サバト考 その五 恍惚を更に深く - 戯 幽のオカルト覚書

 

恍惚の記事で、ベナンダンティなどは平時は普通の人であり、周囲の人間も特別視をしていませんと書きました。

対して、今回のタルトス。コミュニティのなかで明らかに特別視され、特別ゆえの役割を果たします。

またさらに、タルトスは「嵐を起こす」と脅迫さえします。彼らにはそうした能力がある、と信じていなければこの脅しは成立しません。

 

このように、

  • 誕生の特異性
  • 豊穣のための戦い

といった共通点を持ちながら、コミュニティの観点からは全く別物のように見えます。

これが、著者の言う、『ハンガリーのはタルトスは明らかにインド=ヨーロッパ 語圏の外に我々を導くのである 。』ではないでしょうか。

 

世界でシャーマンと呼ばれるものは、共同体において何らかの役割を果たします。日本のイタコやユタもシャーマンに属しますが、コミュニティの中で特別な地位を占めていると言えます。言い換えれば、「私は特別であり、そのことは共同体でも認識され、かつ必要ならばその役割を果たす」ということです。

 

タルトスはこの点を満たし、ベナンダンティやクルスニキは満たしません。これが非常に似通った両者の決定的な差ではないでしょうか。

 

また、最初に触れた、「彼ら・彼女らは告発を断固として跳ね除けた」についても、共同体で認められていたが故に自分たちは異端ではないという自負があったのではと推測されます。

 

検索しても出てこないのが逆に好奇心を刺激し、紹介させていただきました。

なお、「タルトス ハンガリー」だと少し出てくるようです。それでもざっと見た限りは「シャーマンである」くらいの記事でした。また、フロイトを扱ったドラマで言及されているようです。

 

ハンガリーは東欧ではなく中欧に位置し、地理的にはドイツ、オーストリアチェコ、そしてハンガリーとなるようです。文化としては西欧的であり、以東のスラブ文化圏とは異なります。

 

そうした「西欧」の文化圏でありながら、非西欧的なシャーマンという点でやはり特異な存在と言えるでしょう。

 

日本語Wikipediaではサバトの項目で登場します。英語ではタルトスの記事が独立して存在しますので紹介してきます。

en.wikipedia.org

こちらでは超自然的な力を持つシャーマンとはっきり書かれていますね。

 

シャーマンの定義などもやや複雑なので、またどこかで書きたいところです。

 

今回は特別な能力を持つ人間が、共同体においての立ち位置の違いから自身をどう扱ったか、またどう線引きされるか、というお話でありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サバト考 その五 恍惚を更に深く

戯 幽(たわむれ かそけ)のオカルト覚書です。

 

前回キーワードとした、「恍惚」。気になって調べているのですが、これがなかなか難しい。

サバト考 その四 恍惚 - 戯 幽のオカルト覚書

 

何が気になっているのかと言いますと、「どうやって恍惚状態に入ったのか」という「方法」の部分です。

 

前回、教会側が記録していた恍惚状態の地理的分布を記しました。再掲しますと

 

・主として女性神につき従う恍惚状態での旅 はスコットランド、フランス、ラインラント、イタリア中部ー北部

 

・主として豊穣のための、恍惚状態での戦い はフリウーリ、コルシカ、イストリア、スロヴェニアダルマチアボスニアヘルツェゴビナモンテネグロハンガリーオセチアラップランド

 

となります。

このように広く分布しているのは認識していたようなのですが、どうも「How」については触れていません。

 

著者のカルロ・ギンズブルグも触れておらず、「恍惚状態にある人たちがいる」という前提で話が進んでいます。

 

しかし、私はその「How」が気になるのです。

なぜならベナンダンティを始め、彼ら・彼女らは平時、「普通の人」だからです。

 

恍惚、トランス、憑依、神がかり。こうした言葉はシャーマニズムの文脈で取り扱います。その場合、シャーマンは普段から特別視や神聖視、または異端視されます。

日本ではイタコやユタがシャーマンと言われますが、どちらも普段から「あの人は特別」という扱いかと。また憶測ですが、もしかしたら本人たちも、セルフブランディングの意味も含めて特別視されるよう仕向けているかもしれません。

 

このように、普段から特別な人が必要に応じてトランス状態になるのがシャーマン、だと私は思っています。

現代の感覚ですと、一見普通に見える人が「実はあの人は霊能力者で…」と紹介されることが別段特殊ではないように見えるかもしれません。

しかし、特殊な能力を以て特殊な生業をする人を共同体に迎え入れるには、やはりお互いに特殊性を共有しなければならないと思います。その相互理解がなければ、村八分になって生活が立ち行かなくなるかと。

 

 

しかし先ほど挙げました、豊穣のための戦いや女性神につき従う旅の主人公たちは普通の人のようなのです。

 

例えばベナンダンティが記録された経緯は、村人にまじないを教えたところ、その村人が神父に伝えたからでした。以前からそうした噂のある男、ではありません。

この例の特別な点は、

・共同体の一人として普通の生活をしている

・共同体から、シャーマンとしての能力の要請がない

ことかと思います。

要するに普通の人、なのです。

ただ、ベナンダンティに限って言えば、「羊膜に包まれて産まれたもの(シャツを着て産まれた)」だからそうした能力を持っている、と本人は語っています。もしかしたらそのような人間だけに秘術を授ける組織でもあったのかもしれません。もっともこの羊膜に包まれて産まれるのは現在でもレアケースらしく、8万人に1人だとか。パリの人口が最大でも15万人程だった中世、イタリアの田舎でそのような秘密組織が存続できたとは考え難いです。

 

ともあれ、組織化することなく個々人が勝手に恍惚状態になり、勝手に経験談を語り、それを教会側が型にはめていった、と読み取れます。カルロ・ギンズブルグも著書の中で、

フリウーリ地方の異端審問官たちは、それを理解不可能な、サバトの地方的変異とみなした。

『闇の歴史 サバトの解読』P260

カルロ・ギンズブルグ

としています。

 

このような解釈では過程、方法が不在なのです。

 

他の地域の「シャーマン」は呪文、修行、薬物などでトランス状態に導きます。そして How の部分は場合によれば門外不出も含め、基本的にある、と私は認識しています。簡単に言えば修行です。

 

欧州文化圏を語る際、どうやらあまり「シャーマン」という用語を使わないようです。極狭義には北アジアの用語であり、更に広くしても東アジアや新大陸、オセアニア

 

ベナンダンティが注目されたのは、ヨーロッパシャーマンの記録と目されたから、でもありました。

 

ともあれ。シャーマンと精神疾患を並べることもあるかと思うのですが、やはり気になるのは皆、「恍惚」で繋がれていること、です。

 

狼憑き、人狼、吸血鬼はかなり関連しているのでまた別に語りたいところ。しかし、ベナンダンティと狼憑きが並列しているのは理由があります。

紹介されているイヴォニアの狼憑きは特殊な例で、作物の実りを賭けて魔女と戦うために狼になる、と自称していました。人を襲うために狼になる他の人狼伝説とは大きく異なります。

 

現代、「トランス状態への入り方」を検索すると、情報商材がヒットします。また、ヒッピームーブメントの際はまだ違法ではなかったLSDの仕様で恍惚体験を得ていました。その是非はともかく、やはり一般的にトランス状態になるには方法論が必要なようです。

 

当時、知識を共有した組織は無いように思われます。もしそのような組織があれば、魔女狩りは村々で各個撃破ではなく、大本を潰そうとする戦略を取っていたでしょう。

 

流れとして、勝手に恍惚状態に入ってしまう(トランス、神がかり)人がいて、周りから特別視される、なら理解できます。日本でしたら大本(教)は、出口なお艮の金神が憑依しました。この時、なおは意図せずにトランス状態になり、お筆先と呼ばれる自動書記を残します。

しかし、例えばベナンダンティなら、本人が語らなければ存在自体記録されなかった可能性もあります。それでいて、異端視を恐れて黙秘していたわけでもなさそうです。

 

How の体系がなければ逆に、意図しない入神状態を避けることは難しいのではないでしょうか。ベナンダンティであれ狼憑きであれ女神への随行者であれ、恍惚状態をコントロールしていたように見えます。

 

少し話がずれますが、魔女狩り以前の魔術を求めるウィッチクラフトにおいては、あまり恍惚を重要視していないようです。

 

 

かくして、私の中の「どうやって恍惚体験を得たのか」という疑問は、まだしばらく疑問のまま残りそうです。

 

 

 

 

サバト考 その四 恍惚

戯 幽(たわむれ かそけ)のオカルト覚書です。

 

絶賛、本と格闘中です。

 

 

全500ページ中、198ページ。もう少しで折り返し地点です。

 

前回 その三 では魔女の、主に魔法について考えを巡らせていました。

サバト考 その三 魔女 - 戯 幽のオカルト覚書

 

さて、前回は150ページ時点だったので50ページほど読み進めた現時点の振り返りをしたいと思います。

 

この50ページで、私が気になったワードは「恍惚」。

 

例えば本の160-161ページは

 

[地図3]ヨーロッパのシャーマニズムを背景とする信仰、神話、儀礼

  • 主として女性神につき従う恍惚状態での旅
  • 主として豊穣のための、恍惚状態での戦い(ベナンダンティ、マッツェーリ、クレスニキ、タルトス、ブルクドゼウテ、狼憑き、シャーマン)
  • 12 夜の間、半獣的存在が出現する
  • 主として12夜の間、若者の集団が動物に仮装する場所
  • 豊穣のための儀礼的戦い(ブンキアドゥルス)
  • あらかじめ定められた人物に死者が現れる場所(ベナンダンティ、アルミエ、メスルタネ)

の地図となっていますが、この中に「恍惚状態」は2回出てきました。

 

地図なのでうまく文章化しにくいのですが、

・主として女性神につき従う恍惚状態での旅 はスコットランド、フランス、ラインラント、イタリア中部ー北部

・主として豊穣のための、恍惚状態での戦い はフリウーリ、コルシカ、イストリア、スロヴェニアダルマチアボスニアヘルツェゴビナモンテネグロハンガリーオセチアラップランド

と書かれています。

 

恍惚状態とは。コトバンクで見てみましょう。

コトバンク

kotobank.jp

 

『世界大百科事典(旧版)内の恍惚の言及
【エクスタシー】より
…意識水準が低下して主体的な意志による行動の自由を失い,忘我状態となるか,苦悶,歓喜,憂愁などの気分を伴う恍惚状態になること。宗教における神秘的体験や,性的恍惚感も含む。…

※「恍惚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」』

 

となります。

 

現在はほかの言葉が主流でしょうか?トランス状態、変性意識状態などと呼ばれることもあります。

 

胡散臭いワード、でしょうか。恍惚感にはおそらく強弱があるので、マックス恍惚状態をどこかで見たらひくかもしれません。

 

でも。引くくらいインパクトがあるということは、特別なことととらえられるわけです。ですので、異端視されるか神聖視されるかは時代次第、場所次第。

 

前回の その三 で、魔女の魔法と呪術をあえて分けました。ひとつは呪術はオカルトというよりも、人類学の分野であると思ったこと。もう一つは、呪術、すなわちシャーマニズム北アジアの魔法体系とする、という説があるからです。後者はWikipediaにも記載があります。

 

シャーマニズムの定義

シャーマニズムの定義は学者によって様々である。 まず地域であるが、北アジアに限られるとする説と、世界中の他の地域で見られる諸現象を含める説がある。

ja.wikipedia.org

 

本書は欧州を舞台としていますし、著者も呪術という言葉を使用していなかったので、私もあえてシャーマニズム要素を取り上げずにきました。

 

しかし恍惚状態に強く意味を持たせるというのなら、やはりシャーマニズムは外せなくなりそうです。

 

それでも著者が、「恍惚状態=シャーマニズム」としていなかったのにはおそらく理由があります。

それが『司教法令集』(Canon Episcopi)  の存在です。

この本は906年に世に出て以来ウィッチクラフト、いわゆる魔法に対するカトリック教会の姿勢を示しました。

 

そこには恍惚状態への記述があります。

『このテクストは、ウイッチクラフト信仰がローマ神話の女神ディアーナへの異教信仰と何らかのつながりがあるかもしれないということを示しているからである。』 

 

『原著者である無名氏は、この「ディアーナの騎行」なるものは「迷信」であり「幻影」であり、そのようなことは実際にあったことではないとの立場をとっており、「ディアーナの騎行」の実在を信じることは真の信仰からの逸脱もしくは異端であるとして非難している。 

ディアーナの騎行、とは恍惚状態下に経験する神秘的経験のひとつ。

騎行とは馬に乗って歩く、よりも攻撃的で騎馬による突撃を意味します。

ディアーナはダイアナ。ギリシア神話ではアルテミス。

ただ、ここで言及されるディアーナは特定の神の一柱を指すわけではないようです。

ディアーナ、ヘロデア、ベンソツィア、ペルヒタ、ホルダ、などの名前が列挙されています。すべて女性のようですが、神とは限りません。例えばヘロデアは聖書において洗礼者ヨハネ殺害で有名なサロメの母親です。聖書では悪人はサロメ自身ではなくこちらのヘロデアであります。

実はなぜ「騎行」なのか、私が読んだ限りでは記載がありませんでした。初期の例では「善き女主人のもとへ向かう」などと報告されていたようです。

それがなぜ、騎行となったかは私の中で疑問として残っています。

 

さてこの『司教法令集』においてディアーナの騎行、または類する恍惚状態での体験をどう意味づけているのか。

答えは「存在する、と思うことが逸脱であり異端」です。

つまり、Aという人間がBという教会関係者の前で「わたしは時折女神ディアーナに付き従い馬を駆る」と述べたとしましょう。このときに教会関係者Bは「それは異端の考えだ、Aを罰しなければならない」となるでしょうか。いいえ。このときBが「ディアーナの騎行が実在する」と考えれば、それは実在を信じたBこそが異端です。

 

もともと教会の姿勢は「そんなものはない」でした。これは徐々に変質し、のちに「魔女に与える鉄槌」という書にて上書きされます。

これはまた項を新たにしましょう。

 

説明があちこちに行ってしまい、わかりにくくなってしまいました。元の問いは、なぜ恍惚状態を重視しながらシャーマニズムと結びつけなかったのか、でした。

私は、教会側のスタンスとして「そんなものはない」があったからだと考えています。

シャーマニズムが成立するにはまずそれがある、と認識されなければなりません。良きにつけ悪しきにつけ、「ある」と評価されはじめて教会の判断がなされます。

 

しかしこの『司教法令集』の時代においては「実在を信じることが異端」です。ですので先ほどのA,Bの人間の例では、Bは「Aは信じるに値しないたわごとを言っている」と考えるのが正解になり、特に問題視することもありませんでした。

 

シャーマニズムという言葉を北アジアを基本とし、アフリカ、東アジア、新大陸の習わしに用いることが多いのは、キリスト教の影響の強弱や時代背景によって受け取り方がまるで異なったからではないでしょうか。

 

こうして、恍惚状態を一つのファクターとしながらシャーマニズムと直結しなかったのでは、と思います。

 

オカルトや人類学的なものが好きな方だと、自分も含めてですがトランス状態なのにシャーマンではない、という点に強く違和感を覚えたわけです。

 

さて、「恍惚」をキーワードにした記事はここまでにします。本当は、どうやってトランス状態に入ったのかも興味があるのですが。世界のシャーマニズムは薬物などでトランスしシャーマンとしての力を発揮するのが定番、と思いますので。

トランスが必須なのか?についてはまた異論が。例えば、カルロス・カスカネダの書いたメキシコのシャーマンについての本。最初は幻覚作用のある植物などから始まるのですが、やがて「戦士の生き方」という内容になります。こうなると、トランスは必須な要件ではないようです。

 

カルロス・カスカネダの著作はまたどこかで触れたいですね。

 

ひとまず切りとしましょう。今回はキリスト教会側が「恍惚状態における不可思議現象」と認識していながら、どうして異端としなかったのか、についてのお話をいたしました。

 

次は…。本を読み進めることが一つ、それから誤解も多い異端審問とは、という話、になるかもしれません。予定は未定です。

 

 

 

 

サバト考 その三 魔女

戯 幽(たわむれ かそけ)のオカルト覚書です。

 

厚いです、この本。

 

約500ページ中、現在150ページ。

 

初めて「アウトプットするため」に読んでいるので、読み方が分からないのですよ。

同じくらいのページ数でも「読むだけ」なら、何度でもしてきたのですが、資料として使う読み方は初めてなのです。

おかげでメモがほぼ本の丸写しに。筆者が必要だから書いているわけで、当たり前ですよね。

 

亀の步みですが、少しずつアウトプットしていきます。

 

さて、私の中で、「サバトとは魔女が行うもの、魔女とはサバトに行く者」となっていたのですが、ふと気になりました。

サバトの成立以前に、魔女と呼ばれる者たちは存在したのではないか」

どうしてこのような疑問を抱いたかと言うと、サバトとは教会の主導のもとにサバトらしきものという型を形成していった、と考えられるからです。

この本から得られた知見ですね。私は魔女とサバトが同時進行で成立したと思い込んでいたので、鶏と卵、状態になっていたわけです。

少し考えれば分かりそうなものですが、勝手にサバト=魔女と同じくらい古い と思い込んでいたのでこのような思い違いをしました。

 

ここで改めて魔女について考えてみましょう。

一般的な見解としては魔法を使う人=魔女ということになるかと思います。

では、魔法とは?

ここで「魔法」で検索しますと、とんでもなく広くヒットします。

Wikipediaでの「魔法」は

魔術(まじゅつ)は、仮定上の神秘的な作用を介して不思議のわざを為す営みを概括する用語である[1][* 1]。魔法(まほう)とも[3]。

 

人類学や宗教学の用語では呪術という[4]。魔術の語は手品(奇術)を指すこともある[5]。

です。

「呪術」にしてしまうとフレイザーレヴィ・ストロースの出番になってしまいます。どちらかというとヨーロッパ以外の魔法、でしょうか。シャーマニズムの香りもします。

 

では魔女の魔法は?

サバト参加以外で魔女らしいものと言うと、ぐつぐつと煮込む大鍋。薬草に注目しましょう。

どこまで遡れるでしょうか。

パッと思い付くのはギリシア神話のキルケ。薬草学に通じ、得意としたのは動物への変身。人を動物に変えて家畜にしていました。

系譜をたどると厳密には人ではなくニュンぺー(英語ではニンフ)ですが、the 魔女 のイメージです。

ギリシア神話の成立は紀元前15世紀まで遡るので、魔女キルケは相当昔になります。欧州で魔女狩りが叫ばれるまでまだ2000年ほどかかります。キリスト教は影も形もなく、当然サバトという言葉もありません。

 

ひとまず

サバトに魔女は必要だが魔女にサバトは必要ない」

が分かったところで、一旦筆を置きます。

 

そこからもう一度、サバトについて再考していきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サバト考 そのニ

戯 幽(たわむれ かそけ)のオカルト覚書です。

 

この記事にはハンセン病患者の方やユダヤ人への迫害について触れています。

陰謀論、追放排斥の歴史は非常にデリケートなものとの認識をしております。

もし私の理解不足により不適切な表現等がありましたら、どうかご容赦願います。

 

さて、ベナンダンティ研究者のカルロ・ギンズブルグはこのような本も書いています。

 

 

 

全513ページ。で、現在133ページまでのまとめです。

 

ここまでは迫害された者たち、具体的にはユダヤ人とハンセン病患者達について記しています。

ハンセン病患者の後釜には、「外縁者集団」である乞食や貧民者の隔離、追放。ユダヤ人は継続して排斥。

ハンセン病患者は「フランスからいなくなった」とあります。街によっては4分の3を虐殺したとされるので、文字通り「いなくなった」のかもしれません。

 

私はこの「外縁者」という表現がいまいちしっくり来なかったのですが、それは幸いにして私がたまたまそのような立場、言い換えれば生まれではなかっただけかと思います。いつの時代も、現代も、外縁者はいるのでしょう。

私はこの言葉を「法の庇護下にない者、特に人権の侵害を受けているもの」と認識しています。

 

さて14世紀初頭、1300年あたりではユダヤ人とハンセン病患者、そしてグラナダの王(当時のグラナダ、つまりスペインはイスラム教徒の手にありました)、スルタン(イスラムにおける王)が陰謀の中心です。

グラナダ王がユダヤ人に依頼し、実行犯はハンセン病患者、井戸や泉に、毒を撒いていると囁かれました。

 

もちろん事実無根です。しかしこの噂によりハンセン病患者が逮捕・拷問され、自白を強要される事態になっています。

ユダヤ人の逮捕は、どうだったのでしょう。この後も迫害を受けることを考えると、逆に表立った逮捕拷問、虐殺は少なかったのかもしれません。

 

フランスではこれらの陰謀が囁かれるプロローグとして、ユダヤ人への罰金という事件がありました。罪状は高利貸しの罪、金額は400万スー。スーはフランスの通貨です。

 

日本円にするといくらなのか。

だいぶ後代のことになりますが、レ・ミゼラブルにて考察しているサイトさまから引用いたしましょう。

労賃を基準にすると

    1フラン=5000円、1スー=250円

 食糧を基準にすると

    1フラン=2000円、1スー=100円

 物(衣類、生活道具)を基準にすると

    1フラン= 500円、1スー= 25円

「レ・ミゼラブル」より

 

最小の1スー=25円では

400万スー=1億円

 

最大の1スー=2500円では

400万スー=100億円

となります。

最終的には半額の200万スーまで下げられましたが、それでも大金です。

これはユダヤ人共同体に課せられ、所得や財産の多寡により各人が支払いました。

ユダヤ人共同体は「これを払わなければ危険」との危機意識を抱いていたようです。こうしてお金で解決、を図りました。

 

しかし結局、陰謀論の槍玉に挙げられることと相成ります。

 

ここまでがまとめです。

まだサバトや魔女は出てきません。

流れとしては

・迫害される側の存在

陰謀論

それから

キリスト教異端派(14世紀後半のワルド派)

そして

・異端派がしているとされた型にはまったサバト的イメージ

となります。

 ピンとこないところもありますが、キリスト教内部でも異端であればそれはほぼイコール悪魔崇拝になります。

例えばカタリ派と呼ばれる異端(とされる)の一派がありますが、彼らは猫の姿の悪魔を礼拝するとされました。

 

私はサバトと魔女のどちらが先に成立したのか、を疑問に思い本書を手に取りました。

どうやら、先にサバトめいたものという教会側の型が出来上がったようですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤジィーディー教 もっと深く その一

戯 幽(たわむれ かそけ)のオカルト覚書です。

 

ヤズィーディー教について、別の資料を見つけたので追記です。

 

資料はこちら。

 

フランスからの翻訳本ですね。神保町の収穫物です。

 

こちらでは「ヤズィーディー」ではなく「イェズィド派」との表記だったので見落としていました。

こちらでは第一声から

エブリスを信奉するイスラム宗団。

と述べております。

いきなり邪教扱いですね…。エブリスとはルシフェルのこと。しかし、ここでは =サタン、ではありません。エブリスは「金星(ウェヌス)ら堕ち、やがて北極星へと逃れた天使」。

もう少し深く話すとイスラム教的グノーシス宗派とか、造物主デミウルゴスたる孔雀天使とか、かなり長くなります…。

私が理解できた範囲で書いていきましょう。

 

イェズィド派の項目では、エブリス=マラク・ターウスとしていること。そして孔雀なのはエブリスが霊的な顔料を数多く集めたとされるから。

 

これは初めて見ました。どうして孔雀が選ばれたのか、疑問でしたので。

例えば東洋の孔雀明王、マハーマユリは孔雀がその美しい外見にも関わらず獰猛な毒蛇を喰らうため神聖視されました。

毒蛇関連で神格化したのかと思っていましたので、これは意外でした。

 

エブリス=マラク・ターウス にすれば創造神がいるにも関わらずなぜ一天使を崇拝しているのか分かるわけですが…。逆にヤズィーディー教を調べていたときには創造神は他にも大天使を創造し七大天使としている、とありました。

どちらが正しいのでしょう?

こうした謎、食い違いは調べものの醍醐味です。

 

この本ではさらに論を進めて

エブリス=マラク・ターウス=よきデミウルゴス

としています。よきデミウルゴス、は神から赦しを得て地上世界の統治を委ねられた大堕天使、を意味しているようです。

 

デミウルゴスの説明は…。これもどこかで書きましょう。

ざっくりと言えばデミウルゴスは万能の神ではない造物主、です。万能では無かったのでこの世界には悪がある、ということです。

グノーシス主義ではこのデミウルゴスを悪として、その上位にある万能の神へアクセスしようとします。

つまりこの世界を創ったのは神ではない訳で、まあ、異端視される思想です。

 

基本的にはデミウルゴスは不完全でありどちらかというと悪寄りの扱いだと私は認識していましたが。よきデミウルゴスなんて考えもあるのだと驚きです。

 

イスラムからの分派ではないかとは聞いていましたが、どうやら旧約聖書コーランを同時に信奉している、とあります。

 

旧約聖書イスラム教も、同じアブラハムの神、ですが…。それを差し置いて太陽崇拝と孔雀天使崇拝なのは不思議です。

 

教義はどのように折り合いをつけているのでしょう。

 

今のガザ地区の惨状を見るとイスラム教とユダヤ教の相容れなさを痛感するのですが、ヤズィーディー教はもしかしたら両者をアウフヘーベンした存在なのかもしれないですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

地蔵菩薩考 その一

戯 幽(たわむれ かそけ)のオカルト覚書です。

 

中学生でしょうか。友人たちはそろそろかめはめ波は出せないことに気づき始め、それでもスタンド使いにはまだなれるかもしれないと希望を捨てなかったあの頃。

 

そんな友人同様スタンド使いに憧れつつ、頭ではスタンド使いも難しいと理解し始め。

 

私はもっと現実的に、他人とは違うものになれる世界を探していました。

 

そこで出会ったのが「孔雀王」無印。こうしてオカルトに偏った私の厨二病がターボスタートしました。

 

 

孔雀王 第1巻

孔雀王 第1巻

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本屋さんで週刊少年ジャンプ密教神道の本を重ねて買う中学生の誕生です。

変人ですね。

孔雀王は月刊なのでこちらは単行本で追いかけました。週刊少年ジャンプは中学生の嗜みです。

 

なお、東洋オカルトというジャンルではで3×3 EYESなどもあったのですが、当時はジャンプにあらずばマンガにあらずの集英社一強時代。お小遣いの都合もあり、あまり多くのマンガを追うことはできない時代でした。まだ漫画喫茶や電子書籍もない頃です。

 

さて、孔雀天使のときも書いたのですが、孔雀王作者の荻野真先生は自分の知識故か、説明不足がしばしばありました。

その説明不足の一つが、今回取り上げます地蔵菩薩です。

 

作中、孔雀誕生について語られる場面があります。父親が孔雀王を蘇らせようと地獄世界を彷徨っていたときに救われた魔族の娘と恋に落ち、ということでした。

さて、この魔族の娘、の正体が、六道を歩き続けたために記憶を失った地蔵菩薩でした。

 

え。お地蔵さん?

 

ずっとその意外さにクエスチョンマークが消えなかったのですが、インターネット全盛なるこのご時世にようやく疑問が解けました。

 

結論から言いますと、地蔵菩薩のルーツはインドの女神でした。

 

この段階でもハテナです。

なぜなら、インドの神(主としてディーヴァ神族)は「天部」として仏教に取り入れられるのが普通だから。

例えばインドラは帝釈天ですし、ブラフマー梵天、シヴァはマハーカーラの姿で大黒天です。ヴィシュヌは…少しマイナーですが那羅延天です。

とまあこのように基本的に最後に「天」と付くのがお約束です。

ですが地蔵菩薩は菩薩。

菩薩とは本来は悟りを求める衆生から修行僧まで全てを含めるはずなのですが、地蔵菩薩虚空蔵菩薩など特に名前が付けられている仏様もいます。

厳密には菩薩なので仏様ではないかとも思いますけども、説明がややこしいところですので割愛します。

 

肝心のお地蔵様のインドでの姿ですが、Wikipediaにて

地蔵菩薩の起源は、インドのバラモン教の神話に登場する大地の女神プリティヴィーで、大地を守護し、財を蓄え、病を治すといった利益信仰があり、これが仏教にも取り入れられ、地蔵菩薩が成立したとされる[信頼性要検証][1]。[誰によって?]経典として「地蔵菩薩本願経」「大乗大集地蔵十輪経」「占察善悪業報経」が地蔵三経と呼ばれるが、「占察善悪業報経」は偽経とも言われる[1]。

 

と紹介されています。

 

「信頼性要検証」など、決定的な資料は不足しているのかもしれません。プリティヴィーのWikipediaを参照しても、仏教にとりいれられた、としか書かれていませんので。

 

では、英語のサイトを紹介しましょう。

例えばこちらですね。

 

www.wisdomlib.org

 

実はこのサイトではプリティヴィー=地蔵菩薩 とはしていません。ですので、私は現在進行形で「これは=なのか?」と悩んでいるのですが。

 

こちらのサイトではプリティヴィーを大地の属性を持つ古い女神としています。

このことは日本語のWikipediaでも書かれています。ただ、大地母神というより大地のエレメントの女神、と属性がやや異なっているようです。

 

土のエレメンタル、としてのプリティヴィーはどこにいるのか。

先ほど、インド由来の仏は天部に配されたとお伝えしました。

天部の中にさらに十二天があり、八つの方角と日月天地を加えたものです。

その十二天内の「地天」がプリティヴィーとされています。

ただ、この時点でもう「地属性」、アースエレメンタルではなくなりました。地天が意味するのは地面の方向、つまり下向きのベクトルであり、大地の属性ではないのです。名前では「地」が残りましたが、プリティヴィーは原型を留めずに仏教に吸収されました。

 

…、書いていながら、逆に「地蔵菩薩=プリティヴィー=地天」の構図に自信がなくなってきました。マニアックな話になるほどWikipediaの記事は信憑性が高くなると私は思っているので、地蔵菩薩はともかくプリティヴィーの記事に根拠なく書き込む人はいないと思うのですけどね。

 

調べるほど、地天はともかく地蔵菩薩と結びつく理由が無いように見えてきます。

 

これは調査続行、です。