ベナンダンティ もっと深く その3

戯 幽(たわむれ かそけ)のオカルト覚書です。

 

ベナンダンティ、そしてクルースニク・クドラク は、「羊膜」で繋がりました。

それから、もう一点、気になるところを。

 

まずは地図を見てください。

 


f:id:Tawamure_Kasoke:20240209144032j:image

 

ベナンダンティはイタリア北東部のフリウーリ地方。

そしてクルースニク・クドラクスロベニアの伝承です。

実は地理的にこれだけ近いのです。

個々に見るとベナンダンティはイタリア、クルースニクはスラブ圏と紹介されることが多いため、私も地図を見るまで気づきませんでした。そもそも、私がクルースニクの「スロベニア」を「スロバキア」と勘違いしていたこともあるのですが…。こうしたとき、Wikipediaはリンクがあるので便利ですね。

 

イタリアとはいえ、フリウーリ地方は長靴の北東部、独自のフリウーリ語も持つほどの異なった文化を擁する地域です。

 

イタリアと言えばローマ、ローマと言えば記録好きのイメージ。ですので、なぜ魔女狩りの時代まで歴史に現れなかったのか気になるところですね。

カエサルガリア戦記を見ると、ガリア人(ケルト人)の勢力権がローマから見て北西、フランスやイギリスにあったので、ローマ帝国の繁栄する方向が北西だったのか?しかし、地中海はアフリカ北部、ギリシャなど東部も支配していたはず。フリウーリ地方が漏れていたのも不思議です。

 

でも、プリニウスの博物誌は地中海沿岸を通り、そのまま東に行きますよね。通商のルート上の記録が残り、探検的に中央・東ヨーロッパに足を伸ばすことがなかったのかもしれません。

現に存在を知られていたアフリカ大陸も、地中海に面したカルタゴなどは歴史にありますが、それよりも南は記録されていないかと。

 

そうなりますと、今でこそ同じイタリアですがフリウーリ地方は意外に手がつけられていなかったのかもしれません。

 

さて、お隣のクルースニク・クドラク。こちらはゲーム女神転生の影響で名前は有名ですが、資料はあまり見つかりませんでした。

少なくとも、「女神転生のキャラクター」以上に突っ込んだ資料がなくて。

あとはこうした本ですね。

 

 

オカルト、というよりファンタジー好き御用達の新紀元社様です。

 

今回はクルースニク=ヴァンパイアハンター、クドラク=ヴァンパイア

の構図にしていますが、この「ヴァンパイア」も奥深いものですのでいずれ解説したいものです。

 

情報が少ないのはスラブ圏、もっと言えば旧ソ連の影響下にあったから、もあります。ソビエトは土着信仰や風習の弾圧を行いました(これらは共産党社会主義思想からではなく、スターリン個人に依るところが大きいことを明示しておきます)。こうした政策により、スラブ人の神話は失われたと言われています。その復権に尽力したのが画家のミュシャです。ただ、ミュシャはやや政治的思想のもとでの文化復権であったのは否めません。つまるところ、神話の失われた世界にあると言えるでしょう。

 

話が散らばるのは逆に面白いてすね。

 

思いつきですが、「なぜこれほどの共通点を持ちながら、ベナンダンティはヴァンパイア伝説(クルースニク・クドラク)に統合されなかったのか」が気になります。

ベナンダンティのWikipediaには

最初にベナンダンティの伝統について研究した歴史学者はイタリア人のカルロ・ギンズブルグであり、彼は、1960年代初頭から、現存する裁判記録の調査を始め、ついに『ベナンダンティ 16-17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼』を出版した。ギンズブルグの証拠の解釈では、ベナンダンティは「豊穣の儀式」であり、ベナンダンティのメンバーは「収穫と豊穣の守護者」であった。彼はそのうえ、ベナンダンティはより広い範囲の、リヴォニアの狼男の信仰の様な、キリスト教以前に起源をもつ、ヨーロッパの幻視体験の伝統の中で残っていたものの1つに過ぎないと主張した。[1]様々な歴史学者がすでにギンズブルグの解釈の仕方に基づいて研究を進めてるか、もしくは異議を申し立てている。

とあるように、人狼伝説との混同はあったようです。そして長らく、吸血鬼と人狼はほとんど同じ扱いでした。例えば吸血鬼が狼に変身したり、です。

 

ベナンダンティは善の魔術師を自認していました。悪の魔術師をマランダンティと呼び、明確に区別しています。

このように正義・悪、狩る側・狩られる側があり、その構図はクルースニク達と重なります。

 

ここまで同一でありながら、なぜ別種の伝承として残ったのか。

 

こうした答えの出ない問を延々と考えるのは楽しいものです。