ベナンダンティ もっと深く その4

戯 幽(たわむれ かそけ)のオカルト覚書です。

 

以前、ライトな本を参考にしました、と述べました。

 

そこで、専門書としてこんな本もありますと紹介したのがこちら。「ぶ厚くて読めないっす」と言っていたのですが、結局買いました。

 

それから、ついでにこれも。

 

傍から見る分にはいい響きですよね、サバト

しかし当時の当事者にはたまったものではないので、不謹慎な発言だと自覚はしております。

私が受けた印象としては、「サバト」とは教会側の、「僕の考えた悪いこと100選」を基にどれだけこじつけたか、だと感じました。このサバト論はまたどこかでやりましょう。

 

さて、ベナンダンティに話を戻します。

異端審問や魔女裁判というと「密告されて」というイメージがあるかもしれません。

しかしベナンダンティに関して言えばそうではありませんでした。この一団が教会側に認知されたのは、粉挽き屋のピエトロ・ロターロが「自分の子供が魔法にかけられたが、それを解くまじないを教えてくれた」と述べたのが発端です。

 

そこでまじないを教えた人物、パオロ・ガスパルットが、自分はベナンダンティという一団の所属であると言ったのです。

 

当初、教会側は興味は持ったものの異端審問の対象とは認識していませんでした。そのため、ガスパルットも特に隠すでもなくベナンダンティとして行っていることを話しています。

 

ベナンダンティは、同時に敬虔なキリスト教信者でもありました。当然てすが両者は矛盾するものではないため、両立は可能なはずです。

 

変化が起きたのは、1580年。異端審問官のフェリーチェ・ダ・モンテファルコ修道士が前任者(ジュリオ・ダッシージ異端審問官)が5年前に残した審問を再開しました。

5年を経て異端審問の風向きが変わっていたのか、当初、ガスパルットは否認します。しかし一日牢に入れられ重い口を開き始めました。

この記録を読む限り、少なくともガスパルットは「神の保護や意志のもと」ベナンダンティとして戦っていると認識していたようです。

しかし、「天使が現れて戦いに誘う」と答えたとき、事態は動きました。異端審問官は、「その天使は悪魔である」という前提のもと、既知のサバト像に結びつけるように誘導尋問を開始したのです。

これをきっかけに各種の幻視体験すべてをサバトと決めつけられたようです。最終的には破門にはされずに済みました。しかし、

同日、二人のベナンダンティは「多くの人々が聞く前で」判決文の申し渡しを受け、過去の過ちの放棄を厳粛に誓った。

ベナンダンティ』カルロ・ギンズブルグ

命を取られはしませんでしたが、今まで神の旗印のもと行っていた正義を全否定された彼らの今後を考えると暗い気持ちになります。

なお、本の中では同時期に別のベナンダンティを取り上げておりますので、二人となっております。

 

異端審問や魔女狩りでは被告人の財産を没収できるなど「旨味」がありました。そうした観点で観ると、このベナンダンティの件は現世的利益が無いように見受けられます。

その分、より純粋に「信仰」の問題であった、と言えるでしょう。

 

ギンズブルグの著書ではこの後に教会側はどのようにサバト像を形成していったのかにも言及しています。

今後もマニアックに進めていきます。